形態学からこころへ (神経解剖)、生理機能からこころへ (神経生理)、そして神経疾患の方々を救いたい患者ファーストの視点 (神経病理) を合わせる3本の矢で脳機能を解明し、神経疾患を克服していきます。
脳腫瘍研究は、神経発生学と腫瘍生物学に跨る学際的な分野です。我々は、癌細胞がとりうる多様な表現型の基盤となる「癌と代謝」というテーマに取り組んでいます。グリア前駆細胞の遺伝子改変に基づく脳腫瘍モデル (Masui et al. GLIA 2010) とヒト脳腫瘍検体を用いた統合アプローチで、細胞内代謝の主要制御因子であるmTOR複合体が癌代謝を誘導する中心分子であることを世界に先駆けて明らかとしました (Masui et al. Cell Metab 2013)。この代謝変容が癌細胞に与える影響は広範囲に渡り、分子標的治療に対する抵抗性を付与し (Masui et al. PNAS 2015)、癌細胞のヒストン修飾やDNAメチル化といったエピゲノム状態を大きく変化させました (Masui et al. JBC 2019; Harachi et al. Mol Cancer Res 2020)。更には、悪性脳腫瘍・グリオーマの代謝依存的なエピゲノム変化が、脳に内在するニューロンとグリオーマ細胞間のシナプスネットワークを改変し腫瘍の進展を促進する、脳腫瘍生物学と神経科学の統合に繋がる新たなフロンティアが見えつつあります (Harachi et al. Acta Neuropath Commun 2024)。引き続き、ニューロン・グリオーマシナプスという“病的”ネットワークの解明から、シナプス・コネクトームが関連する神経・精神疾患の病態を解明し、病的ネットワークをデジタルにAIで読み解く次世代診断技術の開発に挑戦します。
我々は「時間生物学」、特に「概日時計」の仕組みを分子レベルで解明してきました。概日時計は、睡眠・覚醒リズムに加えて、ホルモン分泌や代謝、免疫など多くの生理機能を調節しており、健康維持に欠かせない仕組みです。我々は、主要代謝産物「NAD+」が時計の制御下で増減していること、それが概日時計の働きを担うタンパク質「Sirt1」の活性を24時間周期で変動させるのを発見しました (Nakahata et al. Cell 2008; Science, 2009)。これらにより「概日時計と代謝が互いに影響し合う」ことを世界で初めて分子レベルで示しました。続いて、「概日時計」と「NAD+代謝」に「老化」の視点を加え、NAD+が多いと細胞老化が遅れること (Khaidizar et al. Genes Cells 2017)、逆に細胞老化が進むと概日時計が老化することを見出しました (Ahmed et al. Aging 2019; Front Neurosci 2021)。更には概日時計老化に関わる分子メカニズムを解明し (Ashimori et al. Front Neurosci 2021)、「時計の老化」という新しい概念が生まれました。現在は企業との共同研究により、概日時計の老化を巻き戻す天然化合物の探索と作用メカニズムの解析を行っており (Kuatov et al. Nutrients 2025)、こうした知見を活かして老化関連疾患や神経・精神疾患の新しい予防・治療法開発を目指しています。
我々はこれまで神経細胞の増殖分化制御機構と生理機能および神経疾患との関連に関して研究を行ってきました。神経幹細胞の制御因子である核レセプターTLXが成体神経幹細胞の増加と記憶増強に重要であることや(Murai et al. PNAS, 2014)、TLXによるmiRNAの制御と統合失調症との関連を明らかにしました(Murai et al. Nat Commun, 2016)。またG protein がephrinと作用し大脳皮質形成における神経前駆細胞の運命決定を制御する機構も明らかにしました(Murai et al. Stem Cells, 2010, Qui et al. Cereb Cortex Commun, 2020)。現在はこれらの知見を踏まえつつ、ヒト組織検体を用いた神経形態学的視点も加え、新たに精神疾患や神経変性疾患のメカニズムについての解析に挑戦しています。中でもパーキンソン病やレビー小体型認知症を含むレビー小体病は、レビー小体と呼ばれる細胞内異常タンパク質凝集体の出現が病理学的特徴として知られています。このレビー小体の主要な構成タンパク質であるαシヌクレインの異常凝集体が病態の進行に伴い細胞間を伝播することで神経変性が誘導され病態が拡大していくと考えられています。我々はαシヌクレインの異常凝集体の伝播経路の解析を進め、病態進展機構を解明することで、これらの神経変性疾患の早期診断、予防法の開発に貢献することを目指しています。
我々は、生殖機能の制御を「末梢」と「中枢」の両面から研究しています。卵巣局所では卵胞発育やステロイド合成機構を解析し、妊孕性維持における局所環境の役割を明らかにしました (Tarumi et al. Fertil Steril 2012; PLoS One 2014)。中枢側では視床下部や下垂体を対象とし、神経内分泌系に関わる知見を積み重ねています。現在は、これらの知見を基に生殖老化への時計遺伝子の関与を解析し、卵巣‐脳連関を介した加齢変化のメカニズム解明を進めています。一方で、嗅覚刺激がホルモン応答を介して脳機能や行動に影響することにも注目しています。我々は、排卵期女性の体臭が男性のテストステロンやコルチゾールを変化させることを報告しました (Tarumi et al. PLoS One 2020)。また、天然精油の吸入が更年期女性のオキシトシン分泌を促すことや、β-カリオフィレンの嗅覚刺激が女性のテストステロンを上昇させることを見出しました (Tarumi et al. J Alt Complement Med 2020; Sex Med 2020)。嗅覚と生殖機能はいずれも視床下部‐下垂体を基盤とした神経内分泌制御に立脚しており、両者の研究は共通の枠組みでつながっています。今後は、生殖老化の分子基盤と香り刺激による脳・身体の統合的理解を深め、医療や生活の質の向上に貢献していきます。